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バプテストとは良心の自由を重んじるキリスト教会です

イギリスのロンドン郊外スピタルフィールドで1612年に創設されたバプテスト教会、これが文献に残る最初のバプテスト教会です。創設者トマス・ヘルウィスらは、政府と一体化した英国国教会と、逆に市制参与や兵役義務を全く拒否するメノナイトの間に、真の教会の姿を見出しました。

 それは第一に、乳幼児の時から国や家の宗教ゆえに自動的に登録されて構成される教会ではなく、個人的にイエス・キリストを信じた人によって自発的に組織されるべきであること。つまりキリスト教を国教化することで個人の信仰をないがしろにした当時の英国国教会から分離したのです。

 第二に教会組織は政府組織から分離するが、政府を神にあって愛するということ。政府の役割を全く否定して納税もしなくなった当時のメノナイトからも分離したのです。この点についてヘルウィスはこう記しています、「・・・尊厳なる為政者を悪く言い、政府を軽蔑することは恐ろしい罪である・・・彼らは為政者でありながらキリストの教会の一員であることが可能なのである」1

 こうしてバプテストは、社会秩序下における個人的・自発的な信仰、いわゆる「良心の自由」を旗印として、歴史に名を刻み始めました。

ライブ・ボイスで「バプテストの伝統」を聴こう!(5分23秒)

1 オランダのアムステルダムに居留するイギリス人の信仰宣言【1611】第24条より抜粋。

斎藤剛毅編『資料バプテストの信仰告白改訂版』ヨルダン社. 2000年. 20頁

アメリカにおいてもバプテストは良心の自由を掲げて爆発的に成長します。英国国教会の伝道者であったロジャー・ウィリアムズは、大司教ウィリアム・ラウドが良心の自由を訴える1人の医師の耳・鼻を切り落とし、顔に刻印を付ける迫害に衝撃を受け、英国国教会の宗教的非寛容の姿勢に反対する立場をとりました。ウィリアムズはイギリスでの迫害を避けて1631年にアメリカ大陸に移住します。しかしウィリアムズは、先んじてアメリカに移住していたピューリタンたちの教会にも良心の自由がないことに気づき、サレムやプリマスにおいて現住アメリカ人らと共に教会を建てあげます。植民地州議会からも追放宣言を受けたウィリアムズは、1636年よりプロヴィデンスにおいて、良心の自由を高々と掲げた植民地を建設します。植民地としてはあらゆる文化・宗教の人々を受け入れ、その中において個人的信仰に基づく教会を建設、これが米国で最初のバプテスト教会となりました。

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世界宣教の結果、世界中で成長したバプテストは、その歩みと共に種々の特徴を明らかにしました。「洗礼」とも呼ばれるバプテスマを「浸礼」と訳し、イエス・キリストを個人的・自覚的に信じた人のみに浸礼を施すことも大きな特徴の一つです。しかし種々の特徴を備えていく精神的支柱に「良心の自由」があったのは確かです。E.F.ケヴァンは非常に的を得た指摘をしています、「バプテストの最重要点がバプテスマにあると考えることは、よくある勘違いです。バプテストの確信は主に教会の霊的性質の元にあるのであって、信仰者へのバプテスマの執行は、単にこのことの必然の結果として新約聖書の教えの光の中で発生したに過ぎません」2

2"Baptist Tradition, The." Evangelical Dictionary of Theology. 2nd. Walter A. Elwell ed. Grand Rapids, MI: Baker, 2001.

聖書のみを信仰の規範にするのがバプテストですから、同じ特徴をもつグループを1612年以前、いや新約聖書の中にすら見出すこともできます。とはいえ私たちバプテストの伝統の中心に、17世紀のイギリス・バプテストが追い求めた「良心の自由」が色濃く刻印され、そこから漂う独特の雰囲気が教会を包んでいるのは確かです。

「バプテストの伝統に従う」とは、個人的にイエス・キリストを信じた方によって私たちの教会は自発的に運営され、法治国家を尊重しつつ、個々人の自発性によってなされるべき宗教・道徳教育にキリスト教布教活動により貢献する、という意味です。ですから私たちの教会は、日本、そして静岡を愛するすべての方々のために開かれています。家族構成や経歴ではなくご本人様個人の信仰を尊重しますので、他宗教、他教派との関わりがある方もお気軽にいらしてください。

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