<< Next Prev >> 2008年3月9日の集い

「イエス・キリストは未熟な弟子を守ります」

ヨハネの福音書18:1-11

記: 西原智彦

告別説教を終えたイエス・キリスト ・・・

キリストの十字架での受難週を来週・・・

31分35秒 (7.2 MB)

告別説教を終えたイエス・キリストは、弟子たちの思いとは裏腹に、ローマ兵に捕らえられることとなります。信仰が未熟な弟子たちには理解できないのですが、実はこれこそが死を目前に控えたイエスが彼らを守る歩みなのです。捕縛に当たってイエスは一体どのようにして未熟な弟子を守るのか、その2つの方法を学ぶことができます。

第一にイエスは、神の威光をさらけ出して『おとり』になることで、未熟な弟子の生命を守ります(18:4-9)。ゲッセマネには、エルサレム都内では許可されない果樹類が園のように茂っていました。それを知るユダは、満月の夜にもかかわらず周到に灯火を持ち、ローマの歩兵隊らと共に来て、イエスを探し当てます(参ルカ22:47,48)。しかしヨハネ福音書によると、イエスはそのまま捕縛されたのではなく、自ら兵隊たちに向って足を進めたのです。イエスはご自身が神であると宣言し(5,6,8節『それは私です』は出エジプト記3:14『わたしはある』と同じ)、その威光にうろたえる兵隊たちの視線を一手に背負っておとりとなり、弟子たちに逃亡の隙を与えたのです。誰でも「私はクリスチャンなので・・・」と言うだけで誘惑に打ち勝てた経験があるでしょう。実はその時、キリストが矢面に立ち、守って下さっていたのです。

第二にイエスは、御父の罪に対する怒りを一身に受け止め、未熟な弟子を永遠の滅びから守ります(18:10-11)。ペテロは未熟なことに、兵隊たちに対する闘争心にみなぎっていました。しかしイエス自身はその兵隊たちの暴挙の背後に、愛する御父が全世界の罪に対して抱く怒りを見、その怒りの杯(黙示録14:10;16:19参)を飲む決意をされたのです。人類の罪の結果として襲いかかる災難に一々憤る未熟な私たちをイエスはいさめ、罪の刑罰をすべて受けてくださったその両手で、私たちを守ってくださるのです。

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