「義とみなされることを感謝しましょう」
記: 西原智彦
「救われよ」との神の召しを受けて ・・・
39分20秒 (9.0 MB)
メッセージに応答!
「救われよ」との神の召しを受けて新生し、悔い改めて信仰を抱いた人は、義認されます(ロマ8:30)。ここでいう義認とは「性質が義に変わる」のではなく、「神との関係が正しい状態にあると宣言される」ことです。義認は救いの中心であり、感謝して受け取るべき神の恵みです。神によって義とみなされることを感謝すべき3つの理由を学びましょう。
第一に、神に義とみなされる人は、来るべき神の裁きにおいて無罪宣告されるからです。生まれながらの人は、裁きの日に向かって神の御怒りを積み上げています(ロマ1:32、2:5)。しかし神に義とみなされる人は、無罪が宣告されるのですから(ロマ5:9)、神に感謝すべきです。
第二に、神に義とみなされる人は、イエス・キリストのただしさを我がものにできるからです。十字架の死に至るまで御父に従順であったイエス・キリストは(ピリピ2:8-9)、復活により、御父と相応しい関係を保つ神の御子と公言されました(ロマ1:4、1テモテ3:16)。神の御子イエスのこのただしさを、信仰者は自分のものとして身にまとうことができるのですから(ロマ3:22、5:19、1コリント1:30)、神に感謝すべきです。
第三に、神に義とみなされるために差し出さなければならない担保は、神の約束を信じる信仰だけだからです。「御子イエスの義が私のものとなり、来るべき神の裁きから救われる」、そのために私が神に差し出さなければならない担保は、神の約束を信じる信仰だけですから(ロマ3:22、4:5)、神に感謝すべきです。
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