「教会を、人に寄り添う場にしましょう」
ヨハネの福音書5章1節-16節
記: 西原智彦
「哀れみの家」という意味をもつベ ・・・
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「哀れみの家」という意味をもつベテスダの池は、本来、病の癒しがある、神の哀れみに溢れた場所でした。しかし実際には、誰にも相手にされず、38年間病に苦しむ人がいる殺伐とした場と化していました。ここに主イエスは来られてこの病人に寄り添われたのです。ここから、私たちも教会を、人に寄り添う場にする3つの方法を学びましょう。
第一に、自らの罪の結果に苦しむ人を見捨てないことです。ベテスダのこの病人は9章に出てくる生まれつきの盲人とは異なり、その病の原因は自らの罪にあったようです(5:14)。種を蒔けば刈り取りをすることになるように、罪の支払う最終的な報酬は死です(ガラテヤ6:7-8,ロマ6:23)。しかし主イエスは罪深い病人を見捨てず、声をかけて寄り添って下さるのです。
第二に、助けを最も必要としている弱い人を見捨てないことです。ベテスダの病人の罪は相当醜いものだったのでしょう。池の回りには大勢の人がいながら、病人を介助してくれる人は38年間誰もおらず、「よくなりたいか」とイエスが問うた時にも、その孤独をひたすらに訴えるのです(5:6-7)。主イエスは誰も介助してくれない、最も弱い病人を見捨てず、訴えかける病人の孤独を受け止めつつ、病の癒しという最も病人が望んでいる奇跡をもって寄り添って下さるのです。
第三に、慣習に反する規格外の神の恵みを受けた人を見捨てないことです。自らの罪と孤独に38年間苦しんでいた病人が主イエスによって癒された時、その日がちょうど安息日であったことから、ユダヤ人達は真っ先に拒絶反応を示しました。それはもはや律法の範疇を越えた慣習に過ぎないものでしたが、ユダヤ人たちは慣習を無視するかのような神の恵みを受け入れられなくなっていたのです。
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